三澤憲司が手がけてきた造形作品、世に「彫刻」と呼ばれているものの特徴を言うこと
は、きわめて容易だ。それは、これまでも彼自身が幾度も言葉にしてきたように、異質な
素材をくみあわせることにある。石と金属というのがその典型的な例にほかならない。そ
して肝心な点は、彼のばあい、この得意な素材のくみあわせは、方法であって同時に本質
である、というところにある。
ふつう彫刻とかインスタレーションの作品では、形態(かたち)とか、作品が置かれる
空間や環境と作品との関係とかが、制作の動機や主題になっている。しかし三澤にとって
関心があるのは、むしろ、異質なふたつの素材というときのその素材、すなわち物質、「
もの」のほうなどだといわなければならない。そしてここで、「石」が彼のすべての発想
の出発点にあるという、彼のもうひとつの特色、ないし本質を、おもいおこす必要がある。
彼がこだわる素材というとき、それはまず石だからだ。
浜辺をさまよっていろいろな小石をあつめて飽くことをしらない子供のように、彼は石
を拾いあつめる。その「拾いあつめる」ことが、彼にとっては作品をつくることにあたっ
ている、そう言ったらよいのではないか。方法と本質が同じものだということも、そこの
ところにおいてである。子供が、拾いあつめたものを宝物入れに大事にしまっておくよう
に、彼は作品にし、ドローイングやデッサンにする。また、宝物入れのなかには、ついで
に拾ったものも、貝から漂流物までいろいろ、たくさん入っているだろう。拾いあつめる
ことを身上とする彼の宝物入れにも、きっとまだまださまざまなものが詰まっているはず
だ。そこには「絵画」なんてものもあるらしい。ホワイ・ノット(いいんじゃない)?!
そこからどんなものが出てきてもおかしくはないし、出てくるどんなものも、それじた
いはどうということはない。まして、それが「彫刻」かどうかも、たいしたことではない。
たぶん、彼がかつてインドで見たという「石」にくらべれば、だ。三澤憲司がやっている
ことは、あのインド「石」との関係、そのなかのどこかにそれぞれの位置をもつ。あるい
は、いずれもつことになるだろう。
美術評論家 千葉成夫
三澤憲司個展「合体シリーズ―新たなる試み」Bunkamura Gallery 1995年5月