三澤憲司の無尽輪の環
石井 太

和になる・輪になる・ころがる/走る・走る・浮かぶ/そして力になる・空間が歪む/エ
ネルギーが生まれる/巨大な渦が出来る/これ自体が宇宙の始まりの0であり成長した宇
宙そのものの今の形でもある 三澤憲司「わ(0)より」1993年

 1996年の夏、福山市市制80周年を記念したシンボルモニュメント<天の恵み>(作者三澤
憲司)が、福山市緑町公園のローズアリーナ前に設置された。高さ30.6m、重さ22トン。
ステンレスのモニュメントとしては国内最大級である。
 1994年の春、三澤の<青龍>(P84図版掲載)と、<辟邪(へきじゃ)>(P80図版掲載)の
調査に橿原市に出かけ、その足で室生寺に入り、境内でひょっこりと地表に顔を出した玉
石に心を奪われる体験をした。その後、熱海の三澤のアトリエで<雪庇(せっぴ)>(P19
図版掲載)を見たとき、私は息を呑んだ。このゆるやかな石のもつ曲面が室生寺の玉石の
稜線に酷似していたからである。時間と空間の異なる二つのものの存在に一つの共通項を
観ること、この共時的体験からくる強い衝撃については、二つと一つの存在の違いはあれ、
三澤のつぎの言葉は非常に明快で示唆に富んでいる。

「我々の目の前に写る風景、環境は、何かを考えさせてくれたり、感じたりすることのな
いごく普通のあたりまえの風景として通り過ぎてゆくものと、強くその風景につかれて、
ある時はとりこになってしまう非常に気にいった風景というものを人間はもっています。
その気にいった風景には、我々の心に語りかけてくる何かが存在しているのであって、そ
の語りかけてくる主は知らなくても、その風景の形は強く我々の視覚にせまってきます。
そして、ある人にとっては、それらの風景と出合った時、化身した生きもののごとく襲っ
てきて精神を根こそぎ奪い去り、全く新しい心、勇気、生き方、姿をきたらしてくれるの
です。その何かが私の創っていく、新しい風景、環境のベースコンセプトであって、今後
創っていく創造物の姿(心)なのです。」(「私にとっての彫刻」1976年)

 長さ7.6mの鎖を溶接して垂直に立てた<無題>(P65図版掲載)で、三澤は第一回国際彫
刻展(箱根彫刻の森美術館、1969年)のコンクール賞を受賞し、若干23歳で彫刻家として
第一歩を踏み出した。この<鎖>は、後に始まる、異質な物質を融合させる<合体>シリーズ、
大理石で雪を模す<雪>シリーズの根底をなすものである。鎖の輪は十字にかみ合わされ溶
接されている。これは三澤にとって和合を示すシンボルである。同一の輪が交差し和合し
て無限に続く、無尽輪(むじんりん)の鎖といえる。
 三澤は、風景についてのコンセプトを推し進めるにあたり、その解決策として庭という
空間を制作の糸口とした。<空間の神殿>(1978年)は、その時期の最初の作品である。中
央に置かれた四角い石の舞台にアルミの物体を対角線上に嵌め込んである。常磐木を植え
てそのまわりに玉垣をめぐらし、神が下り宿るとされる日本古代のヒモロギさながらであ
る。1973年、三澤は、水と光と大地をテーマにした巨大プロジェクトのドローイング48点
を第2回個展で発表している(そのうち4点、P68-71図版掲載)。言うまでもなく、この制
作の契機は、1969年11月から70年10月にかけてインドからトルコ、北アフリカ、ヨーロッ
パへの旅で見た古代遺跡の風景からの影響が色濃い。ただし、その風景の目に見える外観
からではなく、目には直接見えない、むしろ目以外の感覚、よりフィジカルなものから直
接エネルギーを受けているように思われる。彼は日本に帰り、巨石にしめ縄をはった御神
体、ヒモロギの空間、室町から江戸にかけての庭や床の間という限定された空間の旅に出
たのである。<成層圏>(1976年)は、枯山水の空中庭園である。彫刻という概念から限り
なく遠ざかろうとする三澤の逆転の発想の好例であり、彼の言う「無化の手法」に近い。

「このことは仏教においての諸行無常という言葉のもつ意味内容のコンセプトとまったく
同一のものであり、あらゆる行為手法が、その物体から離れて存在した時における意識の
高さを意味するもので、それは常に無であるという論法として受けとめることができるの
である。」(「無化の手法」三澤憲司)

 この時期、伊豆海岸で拾った玉石と金属を組み合わせた<合体>シリーズを始める。象嵌
の手法は古代よりあるが、三澤の場合は、意識の無化の手法により石の声を聴き、その声
に呼応した金属が埋め込まれるといった方が適切であろう。あるいは、石と金属と戯れな
がら、金属という合せ歌の断片をそこに融一させるのである。
 1983年の冬、三澤憲司は、いわき市立美術館の前庭彫刻を制作中、自作の石彫に降りつ
もる雪の景色、そして春の訪れに雪解(ゆきげ)の水となる雪に心ひかれた。この時より、
三澤は日本の庭という限定された概念から解き放たれることになる。つまり、彼にとって
今まで「庭」であったものは、「雪という庭」へと転換したのである。雪が降り、積もり、
解けて水となり川から海へ流れ、水蒸気となり上空へ上昇し、冷気により雪の結晶となり
地上へ舞い落ちる―この自然の中での循環そのものが三澤にとっての庭となり、「無常転
変の存在」という舞台が設定されたのである。さらに、それは、彼の<鎖>が「和合のシン
ボル」から「常住不変の存在」のシンボルへと転換したことをも意味している(<汲み込ま
れた鎖>1984年、P76図版掲載)。
 このたびの集い(展覧会)に、<平成の七賢人>(P28-35図版掲載)が招かれる。これは、
三澤自身が実際の雪ではなく、半ば雪に削り、半ば石のままの大理石の塊を前に無念無想
の境地の末に生まれでた七賢人である。からすやうさぎは古来より日、月の象徴となって
いる。しかし、三澤のこの生き物たちは、大きなチェーンソーの刃先から生れ落ちている。
刃と木の接点は肉眼では見えない。木、刃、雪の気、フィジカルなエネルギーの函数が、
作者の強い意志にささえられた無化の手法によって無尽輪の環を描く。したがって三澤の
<からす>(P32-33図版掲載)や<うさぎ>(P34-35図版掲載)には、その時空間の残像とし
ての、かたちの痕跡がとどまるのみなのである。そして、これを今、見ることは、満天の
夜空にひかる星のまたたき(はるか遠い過去のひかり)を見るのと同じことである。
 1995年、三澤か、<虚球自像>(P86図版掲載)を制作し東急電鉄、慶應義塾大学日吉駅
前に設置した。この大きな球体に半球の虚の空間をもつモニュメントは、自己の目を、も
う一人の自己の目が自己の目の中をのぞく、というもの。このたびの集いに招かれた三匹
の金属<うさぎ>(1996年、ホワイトブロンズ、銅、ブロンズ、P43図版掲載)はこれと全
く同一のコンセプトで生まれている。ひとがブリッジし、そのまま自己の体内をのぞきこ
むというもの。このかたちは、角度により人、うさぎ、亀に見える複合体で成り立ってい
る。ここで、三澤は、雪を「無常転変の存在」のあかしとして捉え、同時にそこからつぎ
つぎに「生命体」を生み出し始めている。
 このように自然との合体・融一、その気を体内に蓄積してものを生み落とすというコン
セプト、手法をとる作家に、ローマの彫刻家マリオ・チェロリ、ニューヨークの彫刻家ブ
ライアン・ハント、そして日本の三澤憲司がいる。ローマ、ニューヨーク、熱海という異
なる場所で、チェロリは「生命」、ハントは「水」、三澤は「雪」と融一しながら無尽輪
の環を描き、ともに天、自然、宇宙へのオマージュを捧げている。ここで、この三つの存
在は一つの存在となる。
 モニュメント<天の恵み>(P64、P86-87図版掲載)は、天から一滴のしずくが大地に落
ち、地上に波紋を投げかける光景をシンボル化している。そして、これは<水滴>(P60図
版掲載)、や<雪炎>(P61図版掲載)が変容して生まれたもので、この三つの存在はその
様相を変えながらも一つの根を共有しているのである。その共有はこの集いのすべてに水
の波紋のごとく広がっている。
 三澤憲司の「雪」はまことに優雅である。しかし、その裏には徹底した無常観と限りな
い慈愛が貫いているのである。(いしい ふとし)

石井太「三澤憲司の無尽輪の環」『―天の恵み・雪―三澤憲司彫刻展』図録P7-10ふくやま美術館(広島県福山市)1997年