ねっとりしたゼリーのような物質の中に押し込められている状態。切れ目のないひとつな
がりの世界。分厚いものが四囲に迫っている。そのような世界を想像すること。厚い声帯
から響く鈍重な音声。あるいは風変わりなアリア。モンスターの意味がフランス語の[見せ
る montrer]とラテン語源を同じくする(JL ナンシー)のであれば、その意味の極北に、
ここに並べられた三澤憲司の木彫作品や伊藤若冲の石峰寺、石仏五百羅漢のような作品は
置かれることになるだろう。どちらも芸術作品を創出する行為の臨界を一歩踏み越えてし
まっている。緊張の頂点から急落し、無造作に外界に押し出されているようにあるモノ。
これらの作品の[見られること]についての極度の無関心、限りない露出は見るものに言い
ようのない感情=不安感をおこさせるのではないだろうか。私は彫刻を経験するとき、作
品の内部(空洞はムクか、支柱があるかどうかは問わない)と外郭、立体の表面が呼び合
っているような状態、複数の関係事項の相互作用によって成り立っているような立体作品
の系列を参照する。その条件において飛鳥時代以降の日本の仏像を彫刻と呼んで何の不都
合もない。三澤の木彫群を見て、誰もが一木造りの仏像を思うにちがいない。あるいは平
安期の関東、東北に限って見出される得意な鉈彫りの仏像、そして円空の造形を。しかし
三澤のホリモノはそれ以上還元できない単一なものとして存在している。いわば一つの厚
い表皮である。
『方丈記』は養和年間(1181-2)の都の飢饉と疫病被害の凄まじさを伝える。その中に仁
和寺の僧、隆暁法印が市中に満ちる数万の屍の一体一体を尋ね歩き、その額に阿字(凡字)
を書いて即席の結縁を授けたというエピソードが出てくる。三澤は海岸で流木を拾い、ほ
んの一彫りを加えて作品にしていく。展示のためというより、また元あったごとく捨て置
いているのだと思う。一年もたてばまた周囲の自然に紛れるように。私は今回の三澤さん
のしごとをこのように隆暁の阿字の結縁の所作に重ねてみている。
2007年1月26日 美術史家 小川 稔